無限大門流 ― 目とイメージの理 ―
終戦より幾年、我々は多くを失い、そして同時に多くを見直す時代に入った。
焼け野原の中で、人は「本来の力とは何か」を問うようになった。
ことゴルフにおいても同様である。
技術や理論は氾濫し、形ばかりを追う者が増えた。だが、その多くは本質を外している。
結論から言う。
「目」と「イメージ」の使い方こそが、すべての起点である。
■ 目は“見るもの”ではなく、“導くもの”である
多くの者は、ボールを「見よう」とする。
だが、それは半分正しく、半分誤りである。
目とは単なる観察器ではない。
動作の指令を出す中枢の一部である。
例えば――
・ボールを強く見すぎる者は、体が固まりやすい
・インパクトを「当てにいく」と、手先が過剰に働く
・結果、スイングは分断され、力は逃げる
つまり、「見る」という行為が、無意識に体を縛っている。
無限大門流においてはこう考える。
目は“ボールを固定するため”ではなく、“動きを流すため”に使う。
視線の中にボールを「置いておく」。
だが執着しない。追いすぎない。
あくまで視界に収めるだけでよい。
■ イメージは命令ではなく、“環境”である
次にイメージである。
多くの者はこう考える。
「こう振ろう」「こう当てよう」「ここでこう動かそう」
だがそれはすべて“命令”であり、
人間の体にとっては過剰な干渉である。
人間の体は、本来極めて優秀にできている。
歩く、走る、物を投げる――
誰に教わらずとも自然にできる。
スイングも同じである。
正しいイメージを持てば、体は勝手に最適解を選ぶ。
ここで重要なのは、イメージの質である。
悪い例:
・腕をこう使う
・腰をこう回す
・手首をこう返す
これは“部分命令”であり、動きを壊す。
良い例:
・ボールの先へ強く押し出す
・右サイドで一気に振り抜く
・地面に力を叩き込む
これは“全体イメージ”であり、体に自由を与える。
■ 人間の体は、思っている以上に賢い
戦後の復興を思い出せばよい。
人は道具も資材も足りぬ中で、工夫し、再建してきた。
それと同じく、体もまた環境に応じて最適な動きを作る。
だが――
人は考えすぎる。
・当てよう
・曲げないように
・ミスしないように
こうした思考は、すべて体に「不自然」を与える。
結果として起こるのは、
・動きの遅れ
・力の分散
・タイミングのズレ
つまり、人間が自ら性能を落としている状態である。
■ 不自然を排せ。体に任せよ
無限大門流の結論は単純である。
変なことを考えるな。
・細かく動かそうとするな
・部分を操作しようとするな
・結果をコントロールしようとするな
やるべきはただ一つ。
目で捉え、イメージを描き、あとは任せる。
右サイドで振り切る意志だけ持てばよい。
それ以上は不要である。
■ 総括
目は動きを導く。
イメージは体に環境を与える。
体はそれに応じて、最適に動く。
ゆえに――
「見るな、感じろ」ではない。
「見て、描いて、任せよ」である。
これが、無限大門流における
“目とイメージの理”である。
2026年05月02日 08:11