― 手首は操るにあらず、解き放たれるものなり ―
いざ申す。
多くの者、太刀を振るうにあたり、
手の内にて力をこめ、手首にて打たんとす。
されど、その一撃――
軽く、乱れ、芯を外すのみ。
何故か。
それは、手首を使わんとする“欲”が、動きを濁らすが故なり。
心得よ。
手首は、使うものにあらず。
然るべき流れの中にて、自然と解き放たれるものなり。
無限流においては、
右爪先より頭頂に至るまで、一本の軸を通す。
その軸を崩さず、
テイクバックはまっすぐ上げ、
流れに任せて内へ収める。
ここに無理は要らぬ。
いざ切り返し。
右膝の前にて、
手首は“解かれる”。
決して、解こうとするな。
流れが整えば、手首は勝手に応ずる。
力みにより、手首をこねれば、
軌道は乱れ、刃は鈍る。
されど、脱力せし身体にて、
軸を保ち、流れに従えば――
その一撃、
鋭くして重く、
狙いを違えぬ。
忘るるな。
「手首を使うな。されど、使われることを許せ。」
これを悟りし者は、
無駄な力を捨て、
最小にして最大の力を得る。
2026年04月28日 09:56